雑感
夏の高校野球(甲子園)が始まった。
選手の中に同窓生が入ったことは喜ばしいが、
高校野球の親玉 高野連は頭究極に悪い
そのような催しに参加して大丈夫なのだろうか
Instagram(即電報)にも投稿したが、
高野連はチームのマネージャーであっても
男性でなければ練習中でさえグラウンドに入れない規則だった。
批判を受けて一部改定したものの本質的な改善ではなかった。
(GHQの指令を受けて新憲法草案を作ってみたものの実質は明治憲法と同じみたいな)
(高野連 -Uzumyree検索)
既にこれにどうしようもない頭の悪さ
実情や近代以降普遍とされる価値観すら受け付けないところが
露呈してしまったが、
今度は安全管理面でも愚かさが見られる。
毎年のように誰かが熱中症になっているのは最早有名な事実となっているが、
高野連は充分な対策をしないどころか、むしろ根性論で乗り切るよう指導してきた
漸く批判に耐えきれなくなった対策したかと思えば
黒でなく白のスパイクも認めるといった程度
高野連の会長が涼しいと自慢げにメディアに語っているのが薄気味悪い
真夏の日中に激しいスポーツをしている時点で終わりなのだが。
また選手(特に投手)への身体面の配慮も貧弱だ。
高野連は試合日程を詰めて組み、選手に休む暇を与えない。
今年は予選で投手を登板させない判断をした監督が賛否両論を巻き起こした
時代錯誤な狂信的な精神論を唱えるものもいて暗澹たる思いがする
怪我が少なくとも散見されるのに抜本的な対策しないとは選手を消耗品としてて捉えているのかと疑念がわく
権威主義的な面も厄介な問題だ。
「甲子園に出場した野球部員が、同じ指導者の下でその高校のダンス部の活動に参加したことを高野連が咎(とが)めていると。入場料をとる発表会に出場した事が問題だという事で。」
しかも高野連はこの部長に処分を検討していたという。
全国的に人気のある行事の元締めとして、胡座をかいているのか
そして「やりがい搾取」は高野連の問題を語るには欠かせない
東京オリンピックParalympicsのボランティアもそうだが、
ボランティアには意義とかやりがいは強調する一方、実際は商業主義に都合良く組み込んでいるだけというものだ。
高野連は少なくとも入場料とグッズ売上の収入は得ているが、
その収入の元となっている野球チームには一切還元されない。
これはNSCやオリエンタルランドとも構造的には同じで
こっちには人気があるのだから、いくらでも替えがいるんだぞと使用者側が脅す極端な買い手市場なのだ。
特に高校野球の場合、選手は入れ替わる(定着しない)から、新人相手に高野連側が圧倒的な権力を握ることは明らかだ。
応援団も学校から動員され、事実上労働させられる。
教育の名の下にただ働きが正当化されている深刻な事態だ。
高野連は自分たちが高校生だった頃の経験を忘れられないのだろう。
当時の教育観が抜けていないのだろう。
自身の過去に固執していればもう老害である。
世代的には安保闘争に近く、反権力でもいいはずなのに実態は酷い。
やはり、アクトンの言う通りだ。
「権力は腐敗する 絶対的権力は絶対に腐敗する」
実情も理解できずに自分の妄言に誰かを従わせる…
牟田口廉也とそう変わりない。